マスコミ語録

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平成11年11月号

特集 どこへ行く日本政治
経済スピードについていけるか

石原伸晃(衆議院議員・自民党)

自民党の比較第一党は変らない

統一地方選挙のあと、自自公連立という話が出てきた。これは私からしても、唐突だという印象は否めなかった。
その前の自自連立ならば理解はできる。当時は金融国会において自民党が攻撃の的となっていたので、国会運営という観点からしても自自連立は仕方ないという認識をもっていた。しかし、「公」には違和感がある。たとえば、金融国会でも公明党の若手は最初、金融再生関連法案に非常に抵抗感を示していたし、また、先の首班指名選挙で公明党は、小渕さんの名前を書いていない。それがなぜ急に変ったのか。政治のなかにいる私も理解できないのだから、国民が理解するはずがない。これは政治全体にとってけっしてプラスではない。したがって、私は自自公には慎重な立場である。
この自自公連立という現状を見て、あるいは見るまでもなく、自民党の比較第一党という現在の政治体制は変らない、政権交代など起りえないという声は少なからず聞えてくる。結論からいえば、よほどのことがないかぎり自民党の比較第一党は変らないにちがいない。
その理由のひとつは選挙制度である。私は初当選からちょうど十年になるが、選挙制度と政治のあり方については、政治改革論議が華やかなりしころにずいぶん議論した。
当初私は、めざすべき選挙制度は、当時の社会党がいっていたような国民サイドの目によって政権交代が可能になる、比例代表併用制の比例選挙に近いものだと考えていた。しかし、比較政治というものを勉強していくうちにその考えが変ってきた。なぜならば、日本には階級があるわけではない。イギリスのように労働党と保守党といった体制の違いもない。日本にある対立軸は、戦前をすべて否定するようなかたちで議論されてきた不毛な左右イデオロギーの対立だけである。
当時、その対立の一方にあった社会党が政権交代の受け皿になりえないとすれば、選挙制度を変える意味はあまりない。中選挙区のほうが画一社会の日本のなかでの民意を吸収できるのではないか。また、併用制といっても比例区から少数政党も入ってくる。それに対する混乱も大きいことからして、中選挙区のほうがいいのではないかと考え、制度改革論者から方向転換して中選挙区論者に戻った。
それに対しては、「お前は守旧派だ」とだいぶ批判された。しかし、もともと対立軸がないのでは、併用制でも、並立制でも、あるいは完全小選挙区制にしても、死票を増やすことになり、また第二政党が育っていないなかでは、自民党への集中が起ることにならざるをえない。
第二の理由は、地方に行くとよくわかるが、地方には本来の意味での野党が存在しない。オール与党体制の議会が多い。共産党はいるにしても、「ああ、共産党か」という程度である。おそらく、日本全体の七、八割がそうした地域ではないか。また、議員配分が人口配分ではなく、議員配分がプラス一になる県があることでもわかるように地方重視になっている。この状況をみると、政権交代ができる土壌はなかなか育ちそうもない。
さらに、前述したように、日本には明確な対立軸がない。たとえば、今回の自民党の総裁選挙と民主党の代表選挙では憲法論を軸にした議論がなされているが、これは結論が出るはずがない。不毛なイデオロギーの対立だけがある現状では、冷静に議論することができないからだ。憲法論を議論するのなら、全共闘世代の方々がリタイアし、太平洋戦争に突入していったときの重荷を背負った世代の人もいなくなったときに初めて冷静に議論すればいいのであって、いまの時点で不毛な議論をむし返すのはナンセンスである。意見が分れているといっても、それがいまの対立軸にはならないのである。
経済対策にしても対立軸がない。たとえば、加藤紘一さんは二〇〇八年に赤字国債を脱却するというような財政再建策を主張している。これは本来ならば民主党のほうが強く主張すべきものだろう。景気を何とかしなければいけないという思いは自民党も民主党も同じで、また、海外からの圧力もあるので、政治家はなかなか財政出動を否定できない。「不景気だから」という言葉に流されてしまう。要するに、政策的にもなかなか対立軸が見出せないのだ。こうしたなかで政治が推移しているところに、日本政治の問題の本質があると思う。

政治のもつ意味の重要性が高まっている

そのことにも増して私が問題だと考えているのは、日本は議院内閣制でやってきたけれども「官僚絶対優位」が続いていることである。民間企業は最近少し変ってきたとはいえ、まだまだお上のほうを向いている。最終的には、市区町村に、都道府県に、そして国に、何とかしてくれという気持が残っている。官軍が通っていったところは皆がひれ伏したという明治百年の歴史が、いまだに払拭されていない。この国民の意識が変らなければ、政治主導で大きな政策の転換をしづらいのが現状だ。
私は官僚制度を否定するつもりはない。たとえばアメリカでは、国益なり国家としての力を存続、発展させていくために日本以上に官と民と政が一体化している。それを考えれば、日本でも優秀な官僚を使いこなすという方向であって間違いない。ただし、それには一年もたたずに大臣が代るようなシステムでは、まず官僚のほうが動くはずがない。その意味で、小渕総理が掲げた「一内閣一大臣」には非常に期待している。大臣が人事権をもっているのだから、四年間大臣が代らないと思えば官僚も真剣にならざるをえない。
副大臣制や政務官制度も、日本の政治を変える一歩になるにちがいない。さらに、イギリスの議会ではクエスチョンタイムというのがあるが、日本でもこれを次期通常国会から採用して政治家同士の議論を活性化させる。私は金融国会で答弁者側に立ったが、非常に面白かった。国民の側からも政治家の質がよく見えるだろう。いまのように、だれもが大臣になるということだと、「ここは重要なので局長に答弁させます」ということになる。これでは官僚に笑われるだけである。
もうひとつ、私がとくに強調したいのは、冷戦崩壊後にグローバリゼーション、メガコンペティションがエスカレートしてきたなかで、政治のもつ意味の重要性が非常に高まっていることである。アメリカとイギリスではそれがわかっているから、イギリスではプレア首相を、アメリカではクリントン大統領を先頭にして政治がたいへんに大きな声を出す。
技術が画一的に普及していくコンピュータ社会とは、0と1の社会であり、オセロゲームの世界であって、デフアクトスタンダードをとった者が圧倒的に勝利する。そのためには、早く多数を占めることだ。大きな声を出すことも必要となる。それがまさに政治の声である。それに気がついて彼らはやっているが、日本はまだまだおっかなびっくりという状態だ。国民の政治に対する不信、あるいは経済界のほうもあまり政治とコミットメントするとまずいのではないかという気持もあり、政治が社会全体のなかで有効に機能していない。
世の中がメガコンペティションになり、ボーダレス社会で競争が起れぼ起るほど政治のポテンシャリティは上がらなければならない。そうすることで、欧米にも近づくし、それは日本の経済が世界に貢献することにもつながる。これが私がいまの政治にもっとも必要だと考えていることである。私がそう考えるのは、今日の社会のスピードの速さを肌で感じているからだ。たとえば、なぜビル・ゲイツが世界一になったのかというと、コンピュータの言語を最初に考えたからである。それでオセロゲームのようにバタバタと全部ひっくり返して世界を制覇した。あるいは、私の古くからの友人であるソフトバンクの孫社長は、「恐ろしいほどのスピードで社会が変化している。いまだからこそ、新しい型の資本の集積があるネット財閥をつくることができる」と話している。
私自身も、地元の事務所にあったホストコンピュータを別の事務所に移したのは私のホームページへのアクセスが急速に増えたからだ。ホームページ立ち上げの当初の数十倍にふくれあがったアクセスに対応するには、地元事務所ではとても間に合わなくなった。
そうしたスピードの速さに政治はまるで追いついていない。欧米ではグローバリゼーションの波のなかにある経済に政治が追いついているから、企業の合併でも何でも、それが国益に適うことであれば政治はミットする。国益に適うということは経済が発展することだから国民も豊かになる。それは政治にもプラスになると見据えてやっている。民間側も政治をうまく利用する。そうした暗黙の了解ができている。
日本でもそうしたかたちに近づいていくべきである。そのためには、人間の流動性を高めること、たとえば政界で政策を担当した人間が民間企業に戻ることができるようなシステムが必要だ。あるいは、役所から民間企業に転職する、高級官僚が民間企業に行くといったことが当り前に行われる社会にならなければならない。役所は役所、経済界は経済界、政界は政界という状況では、いつまでも何も変らない。

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