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文藝春秋
2000年2月臨時増刊号
私たちが生きた20世紀
永久保存版
全編書き下ろし362人の物語
二十世紀の約束
石原伸晃(衆議院議員)
この仕事に就いて今年2000年で満十年目を迎えます。この間は日本にとっては失われた十年とも言われています。バブル崩壊後の経済、55年体制終焉後の政治は社会全体の中で有効に機能しているとは言い難く、若輩ながら私も当事者の一員として責任を痛感しています。
その様な中、叔父の石原裕次郎が生きていたら、私や世紀未の大東京の知事となった父・慎太郎にどの様な注文をつけたかと、ふと考える事があります。
私が政治家を明確に志したのは昭和五十年の父の都知事選挙の際でした。劣勢の中、男は負けると分かっていても勝負しなければならない時がある、と戦っていた父を全面的に応援してくれた叔父。いつか自分も政治家となって父を助けたい、と言った私に対し、「やめとけ、こんな割に合わない商売はない」と笑い飛ばした叔父は私が真剣なのを知ると、「よし、俺に任せとけ。お前が立候補した時は俺も増強るぞ。それからはお前が兄貴の面倒を見ろ」と満更でもない様子でした。
それから四半世紀経った去年、私はまき子叔母や石原軍団の緒兄と共に、父の二度日の挑戦を助くべく全力で奔走しました。多くの方々の御指示のお陰で夢は叶い、項在父は都知事として山積する問題にバリバリと取り組んでいます。
選挙後間もなく、叔父の十三回忌法要が執り行われました。雨の中、二十万人の方々が参拝に釆て下さり、叔父の大きさを改めて実感すると共に、親族の一人として、もてなしが充分にできなかった事を申し訳なく思っています。そして、その様に一人一人に感謝するという気持ちも、日頃からファンの存在が有り難い、と言っていた叔父に教わったものだな、と思い至っています。
十六歳の時、共に参加したロサンゼルスからハワイへ渡るヨットレースで、船酔いで朦朧としている私に、「伸晃起きろ」と言って宵闇の月にかかる虹を見せてくれた叔父。子供が居なかったせいか私の事を幼い時から大変に可愛がってくれました。叔父が教えてくれた事、言っていた種々の事、一つ一つをしみじみと身をもって今、体験しています。
叔父との別れは今もってぬぐい難い喪失です。
今年、恒例となった私の後援会の初詣旅行会も記念すべき十同目を迎えます。熱心も、真心から応援してくれる方々のお陰で私も政治家として叔父との約束を少しずつ果たせている。その様な事から今年は二千人の支援者誓と共に叔父の眠る総持寺へ訪れます。いつもたくさんの仲間に囲まれて酒を飲んでいた陽気で賑やかな叔父の事、時ならぬ大勢のお客に目を白黒させつつも歓迎してくれる事と思います。

