マスコミ語録

メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

季刊「みらい」 99夏号

●特集・・・・・
親の背中はものをいう!?

親から独立するには、
自分自身を発見することです。

『子どもは親の背中を見て育つ』という言葉がある。
親の大きな背中は、子どもに安心感を与えるだろうが、ときには威圧感をも与えることがある。
石原伸晃氏が見てきたのは、作家であり新東京都知事になった石原慎太郎氏の背中。これほど大きな背中を持った父親は、なかなかいない。
伸晃氏は、慎太郎氏の背中に、何を見て、何を感じて育ってきたのだろうか?
「父親は父親としてしか見られませんから、評論の対象にはなりませんね」と前置きをして、伸晃氏は笑顔で語ってくれた。

私が「父親の背中を見て育ったか?」と聞かれれば、答えは、まあYESでしょうね。
ただ、幼堆園に適っているような子どものころは、父親はたまに家に帰って来るものだと思ってました。 父は作家でしたから、別棟の書斎で夜中に仕事をし、たまに私たちのいる家に帰って来る。朝起きて幼稚園に行く私とは、ほとんどすれ違いの生活で、そのころは背中も見ていなかったです。
父の背中を一番見るようになったのは、私が小学校高学年のとき…父が政治家になったときです。テレビがまだ白黒の時代です。
一般的に、父親と息子の関係には、一言では言えないような複雑な思いがあったりしますが、子どもの私が言うのもおかしいですが、父親と私は相思相愛の仲なんじゃないかと思います(笑)。
母親とは、思春期のころにぶつかったこともありましたが、父親とは特にそうしたこともなく、互いに心配し合うような関係でした。
昔は父親が一方的に私を心配しまくっていたと思いますが、今は私の方が心配しまくっている(笑)。やっと立場が逆転したんじゃないかと思ってます(笑)。

『父親と台風の海』

父親は、子どもの私をいろいろな場所に連れて行ってくれ、印象に残る体験をさせてもらいました。
中学受験に合格したとき、初めて父親に連れて行ってもらった海外旅行先が、エベレスト。そのときのいろいろな人との出会いが、旅とはどういうものなのかを教えてくれたような気がします。
例えば、ラマ教の寺院で出会った托鉢の僧が、日本人だったんですよ。その僧はインドに着いてから、徒歩やバスだけで寺院まで来ていたんです。
人生を旅している、人生を修行している人が現実にいて、そういう人と自分が出会ったことが、非常に印象に残りました。
それから、もっと私が小さいときは、台風の海に連れて行かれました。父親と2人でカッパを着て、台風の海を見に行くんです(笑)。
大荒れの波を見ているだけで、子ども心に自然のデカさを痛感するんですよ。
そういうことをするのが好きと言うか、上手な父親でしたね(笑)。

『絶対的だった父権』

私を連れて歩いたことを考えても、父親は子憤悩だと思います。
私は良男で、次男とは5歳も離れていますから、5年間は一人っ子みたいに育てられました。そういう意味でも、特に私には子煩悩な父親だったんじゃないでしょうか。
その後は、男ばかり4人兄弟になりましたから、野球やサッカーなどを家族でよくやりました。
けれど、今の私の家は世相を反映して、娘が1人いるだけの女系家族です(笑)。娘が、私の背中をどう見ているかは、男ばかりの家庭で育ってきたせいでしょうか、私にはあまり分りませんね。
最近、子どもの教育について語られるとき、家庭環境の変化が取りざたされますが、その原因のひとつに、日本の社会全体で女性が強くなったということがあるんじゃないかと思います。
私が子どものころは、父権が絶対的な家長制度というものが、まだ残っていました。そうした父親を中心とする父系家族が、いつの間にか核家族になって、失われたんじゃないでしょうか。
父権がなくなり、絶対的に強いものがなくなってしまった。絶対的に強いものがないから、人間は自由気ままになり、家族のアイデンティティーが喪失した。
こうしたことから、最近言われている家庭の問題などが起こっているんじゃないかと、私は思います。
私はジャーナリズム出身ですから、いかに物事を客観的に見られるかという視点からも、女性が弱くなったと言う人は、この世の中にいないんじゃないでしょうか(笑)。

『トラックの上の父親』

父権が絶対的と言いましたが、私自身は父親に言われたことをプレッシャーだと感じたことも、父親をライバルだと思ったこともありません。
ただ、子どものころから政治家になりたいと思ったのは、父親の影響があります。
白黒のテレビで見た最初の選挙は、すごく印象的に残っています。
当時の演説台はトラックで、それを聴衆がバァーつと取り囲んでいる。そこで父親が、白のダブルのブレザーを着て、日の丸つけて演説している(笑)。そのブレザー、今も家にありますよ(笑)。
今の私には、そんな恥ずかしいできませんが(笑)、当時は子ども心に「なんでこんなに人が集まってるんだろう・・・すごいなぁ!」という印象でした。演説しているのがトラックの荷台というのも、リアリティーがなくて、逆に印象に残りましたね(笑)。
と言っても、父親をスターのように感じたわけではありません。だって、叔父さん(石原裕次郎氏)がいましたから(笑)。
私が名前を知っているような女優さんを連れて来たりすると、子ども心に感激していましたね。浅丘ルリ子さんなんて、本当に奇麗でした(笑)!
こういうことを言うと、庶民感覚からズレているように思われるかもしれませんが、私自身は(神奈川県)逗子市で公立の小学校に行ってましたから、八百屋さんや肉屋さんなど商店の友達の家に行ったり、自分の家に友達を呼んだりして、家庭環境の差異を感じたことはありませんでしたね。 周囲の大人たちがどう見ていたかは別ですが、子ども心に家庭の違いはありませんでした。

『父親からの独立』

父親に説得されたことの中で、中学生のときに剣道をやったことは、唯一の失敗だったかもしれません(笑)。
私は、小学生のときからサッカーをやっていて、そこそこ活躍していましたから、中学でもサッカーやりたかったんですよ。
ところが、父親に「おまえは腰が高いからサッカーは無理だ。中学ではレギュラーになれない」と言われ、父権絶対の家庭でしたから、「そうかな…」と私も思ったんです(笑)。
で、嫌だったんですけど、剣道をやりました。2年間頑張りましたが、本当に嫌だったなぁ・・・。防具が臭いしね。でも、この年になると、また剣道をやりたくなりました(笑)。
とにかく、父親に説得されて剣道をやったとき、親に押しつけられることより、自分でやりたいことを早く見つけなくてはいけないと思いました。
いくら父権が絶対的なものだとはいえ、すべて親の言いなりではいけないと、子ども心に思って、高校1年生のときにブルース・リーに憧れて、少林寺拳法の道山場に通い始めたんです。
少林寺は大学4年まで続け、それが父親から言われたものではない、自分で見付けたものだったんですね。少林寺が、私を父親から独立させてくれたんです。武道は精神的にも、自分の人生の支えになっています。
私から見ると、父親は天才で、絶対的な人でしたが、やはり自分の人生は自分で見つけなければいけない、ということです。

いしはらのぶてる
1957年4用19日生まれ。ニューヨーク・エルマイラ大学に留学後、慶応義塾大学文学部卒業。
81年、日本テレビ入社。政治部記者として大蔵省、外務省、官邸等を担当。90年、第39回総選挙にて衆議院議員に初当選。大蔵委員会筆頭理事、自由民主党財務部会長。96年、第41回総選挙にて東京8区(杉並区)よリ3期連続当選。通商産業政務次官。現在、衆議院環境委員会理事、金融安定化に関する特別委員会理事、自由民主党金融再生トータルプラン推進特別調査会事務局長、自由民主党税制調査会幹事、相続税等適正化推進議員連盟事務局長。

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