マスコミ語録

メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

自由民主
平成19年11月20日号

思い出の選挙戦

初めて聴衆を
涙させた演説
(平成2年 旧東京四区)

毎日、車で移動して、降りると、とにかく握手。カチカチという音。後ろのスタッフが、手にしたカウンターを押しているのです。握手した人数を数えるために。初めての選挙で思い出すのはまずそんな場面。
選挙区(渋谷区・中野区・杉並区)が広いうえ、17人もの侯補者が立った(定数五)のですから必死でした。

その前年九月に阿佐谷(杉並区)に事務所を開いて本格約に動き始めたのですが、当初から「親の七光」とか「タレント頼み」とか、いろいろ言われました。必ず父(慎太郎氏、当時衆院議員=東京二区)が引き合いに出されましたし、叔父(俳優の故・裕次郎氏)のことも言われました。

二月の選挙本番に入って、叔父のプロダクション(石原プロ)の所属俳優さんたちが連日、応援に来てくれるようになるとますます注目され、周囲からも時々、「控えた方がいいのでは」「候補者なんだから自分の力で」などと忠告されました。でも、私はむしろ、家族が応援に来て何が悪いという気持ちでした。石原プロの俳優さんたちは皆ファミリー、私の家族ですから。
私のそんな気持ちや、俳優さんたちに来てもらっていることについて、有権者に直接話したことがあるのです。投票日を三、四日後に控えた夜。荻窪(杉並区)の天沼八幡神社で開いた演説会でのことです。

広くはない社務所いっぱいに百人はいたでしょうか。石原プロからは神田正輝さんが来てくれました。私は立候補の決意に絡んで、叔父との関係に触れました。
昔から、私が政治家になるなどと言うと、叔父は決まって「政治家なんて割に合わない商売だ。やめておけ。俺がどれだけお前の親父の選挙の応援で苦労してると思うんだ」と言ったものです。

そんな叔父と、私が学生時代、こんな話をしたのです。「叔父さん、親父を見ていたら心配になるでしょう」「ああ、だから俺はいつも応援に行ってるんだ」
「だから僕も政治家になって、親父を助けたいんです」と言ったら、叔父はしばらく考えて、「そうか、分かった。お前の親父はどこまでも一匹狼だから、伸晃、お前が助けてやれ。そうしたら俺も楽になる。その分、お前の選挙は俺が応援に行ってやるから心配するな」と。叔父が初めて私の背を押すように言ってくれたのです。

「そんな叔父ですから、私が今こうして選挙に立っていることは必ず理解してくれています。二年前に亡くなりましたが、生きていたら今この場に誰よりも先に来たいと思ったでしょう」

泣いている人がいました。自分の演説を涙を流して聞いてくれる人の姿を見たのは初めてです。私は遠い日のことを正直に話しただけですが、家族とか、純粋さとかを思って感動してくれたのだと思いました。

演説会を終えて、玄関口に立つと私の靴がどうしても見当たらない。外は土砂降り。神社の草履を借りて帰りました。

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