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食卓の記憶(最終回)
石原伸晃
「石原家の食卓」
- 週刊文春 2月16日号
- (株)文藝春秋 定価320円
- 編集人 鈴木洋嗣
- 発行人・立林昭彦
石原家は、やはり封建的だったんですね。僕が子供のころ、タ食が二部制だったんです。親父と祖母のための一部と、子供たちのための二部。母は確か、一番下の弟がまだ小さかったころは、二部の方だったと思います。なぜ食事を別々にしたのか正確にはわかりませんが、父は作家だったので、昼夜逆転の生活でリズムが家族と合わないとか、男ばかり四人の子供と祖母もいたので、給仕する人が大変だったからとか、そんな理由だったと思います。とにかく一部と二部とでは食事の内容まで違う。一部の食べ物に興味津々で、早く一部に行きたいって思っていましたね。
二部は、一部の前にだいたい五時半ごろから食べ始めていたように思います。食事は母が作るときと祖母が作るときがありましたが、どちらかというと祖母が作ってくれたものの方が印象に残っています。
僕が好きだったのはナスのはさみ揚げ。それも挽肉ではなく、ハムをはさんだもの。それとトマトのスライスをフライパンで焼いて、ウスターソースをかけるというもの。すごくシンプルですが、これらは今でも時々食べたくなって、カミさんに作ってもらいます。
ただどうも、四人兄弟で特にナスのはさみ揚げが好きだったのは僕だけのようでした。よく見ると、弟たちは食べていなかったですからね。それでも僕は長兄だからやっぱり大事にされていて、当時は大皿盛りだったので、「ヨーイドン!」で食べるのですが、僕はちゃんと祖母が最初に取り分けてくれていたんです。例えば鮭の料理なんかがあると、平らで肉厚な部位の取り合いになるんですが、そういうのは僕のところに置かれている。それを弟たちは今でも文句を言いますね。「兄貴はずるかった」って。
他にも祖母が作る食事は、鰻茶や、アワビのスライスをケチャップと和辛子を混ぜたソースで食べるものなど、当時にしてはハイカラなものが多かったんです。明治生まれなのに、身長が165センチぐらいあって、タバコも吸い、酒も飲み、野球が好きなモダンばあさんでしたよ。
そんな祖母と親父が食べる一部の夕食では、親父と祖母の晩酌のおつまみのようなものが多かったようです。とにかく興昧がありますから、チラチラと覗くことも多かったんですが、ビックリしたのは、親父が時々異様なものを飲んでいるんですね。黒ビールに卵黄を混ぜたものを。最近になって、ある人からイギリスではどこかの地方でそういう飲み物があるっていうことも聞きましたが、当時はなんて気持ち悪いものを飲んでいるんだろうって思いましたね。憧れの一部の食事でしたが、それは受け入れられなかった。もちろん今でもそれだけは飲んでみようとは思いません。
(取材・構成細川珠生)
