マスコミ語録

メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

KAMZINE カムジン
2005年8月号

「大スターなんだ」
と思えたのは、一度きり!?

  • 発行人・宗近良一
  • 編集人・清水満
  • 発行所・C産業経済新聞社
  • 毎月1回8日発行
  • 定価650円(本体619円)

叔父は、親父と強い絆で結ばれていた上に子供がいなかったので、私たち兄弟は特に可愛がってもらいましたね。おばあちゃん、つまり叔父の母も一緒に住んでいたので、よく私たちの逗子の家に遊びに来てました。

叔父が来ると、晩御飯はたいていステーキなんです。30年以上前ですから、大変なごちそうです。私たち兄弟はペロッと食べてしまっても、叔父は酒を飲んで喋るのに夢中で、手をつけないんです。「オジキぃ、食べないならくれよ」と私たちのイライラが頂点に達した頃に、叔父は「おい、これ」と1拍置いて、「冷めちゃったからもう1度焼いて」と食べるんです。あれには毎度毎度ガクッとさせられました。

叔父の成城の家には、高3で免許を取ってから、月に1度は遊びに行くようになりました。叔父は腕相撲が強いんですよ。腕自慢の友達を連れていっても、絶対に負けないので、こっちも野球部、柔道部とどんどん強いのを連れて行ったんですけど、1度も負けませんでしたね。

だから子供の頃は「よく食う」「腕っぷしが強い」という印象が強いんです。子供の目にも「大スターなんだ」と思えたのは、1度きり。ある年の真夏、逗子の家に、浅丘ルリ子さんを連れてきたんです。

ガルウイングのベンツでエアコンはなく、窓もちょっとしか開かなくて、車内は相当暑かったんでしょう。叔父は女優さんを連れてカッコつけてはいるものの、もう汗だくで、タオルを鉢巻のようにして巻いて、下は短パンでした。でも、美しい浅丘さんを間近に見て「すっげぇなあ、オジキ!」と興奮しましたよ。

最も長く一緒に過ごしたのは高1の夏休み。サンディエゴからホノルルまで太平洋を横断するヨットレースに同乗しました。前後の準備を合わせて、1ヶ月半はお供をしました。レース中、私が船酔いで死にそうになっていたある夜中、無理やり起こされたことがありました。「なんでだよぉ」と表へ這い出ると、月明かりで太平洋に虹がかかっていました。これは感動しました。素晴らしい光景でした。それを見せるために起こしてくれたんですね。今でも感謝してます。

私は小学生のころから政治に関心があって、かなり以前から叔父に「将来は政治家になりたい」と打ち明けていました。叔父はいつも「止めとけ。こんな割りの悪い商売はないぞ。絶対止めとけ」と反対してたのですが、親父が政治家になって、私が20歳ぐらいの頃です。「お前の親父はあの調子だから、政界じゃ仲間が出来ないだろ。お前が助けてやってくれ」と背中を押してくれました。そして「お前の選挙応援なら行ってやる。1回300万な」と笑ってくれたのですが、その夢は果たせないままでした。

1番の思い出を改めて聞かれれば、病気との闘いですね。特に亡くなる直前、7月のはじめに見舞いに行くと「伸晃か。もういいよ」と手で払う仕草をしたんです。5月に神田正輝さんと行った時には、「ゴルフしてえなあ」と病室の中を歩き回っていたのに。「もういいよ」が最後の言葉でした。苦しかったんでしょうねえ。

でも、ふとした時に思い出すのは、子供の頃に遊んでくれた叔父さんです。浅丘ルリ子さんをベンツに乗せてやって来た、カッコつけてるんだけど汗だくで鉢巻姿の叔父さん。あの笑顔は、永遠です。

(取材・構成 岩淵直一)

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