マスコミ語録

メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

平成15年1月31日
文化放送 セイ!ヤング21

吉田拓郎さんパーソナリティーのラジオ番組「セイ!ヤング21」に、2003年1月31日のゲストとして石原が出演しました。堅い話からやわらかい話まで、ざっくばらんな楽しい対談でした。

※文章化の都合上、一部の放送内容に加筆、削除等を致しております。ご了承ください。

吉田拓郎:こんばんは、拓郎です。僕には、変な趣味があって、テレビで一番好きな番組はスポーツで、二番は将棋、三番目は国会の予算委員会なんです。本会議は面白くないけど、予算委員会を見てると、こんなライブはコンサートにはないな、こりゃぁエキサイティングなエンターテイメントだと。世の中も変わって、政治家も強いだけじゃなくて、もっとやわらかい、いまにふさわしいしなやかな人が出てこないかなと思って見ていた。小泉さんが出てきて、あの人はしなやかじゃないけど変な人で、彼が選んだ大臣の中に、石原さんという人がいた。実は石原さんのことは、その前から僕は気になってて、初当選の頃から見ていたんです。今日すごいですよ、ギャラリーもすごいし、取材もすごいし、どんな大物が来てもこんなことはなかった。なんと、今日のゲストは行政改革・規制改革担当大臣 石原伸晃さんです。僕は国会にデビューした頃から見てたんですけど、いつ頃でしたっけ?

石原伸晃:1990年ですから、32歳の時です。

吉田:若いすね、親父も親父だし、僕の当時の印象は、とにかく堅物で、若いのに頑固。親父も頑固だけど、息子もだと思ってた。それが、最近は、全然違う。柔軟でしなやかになった。まず予算委員会に色物のシャツを着てるのがいいですね。あれ好きだな。どっか飲みに行くみたいな。石原さんはすごく変わった、と僕は思う。ご自分ではどうですか?

石原:いま始めて言われました。髪形は変えたんですけど。

吉田:髪なんかどうでもいい。僕もデビュー当時は頑固で、僕もそうでしたけど、やっぱ30代って突っ張るじゃないですか。

石原:硬かったですよね、色気がないってよく言われました。そこが課題で、政治の世界、選挙は色気が大切ですから。

吉田:政治にチャーミングな人が出てきて欲しいよね。

石原:政治の世界も変わってますよ。僕ももう若い方じゃないし、上の世代では名物男がいなくなった。

吉田:昔風の国会らしさはなくなってきたのかもしれないけど、これからの日本は、石原さんたちが背負っていくわけだから、いい様変わりだと思う。そうはいっても、遠くから見てるとなかなか変わらないような気もしますけど

石原:いま過渡期ですよね、当選したての頃は派閥がしっかりあって、派閥の長の言うことが絶対で、当選1回は雑巾かけてろみたいな。何をやるにも怖かった。

吉田:強面はいまどき流行んないですよ、顔で脅かしてもね。僕等の側も変わって、おばさんが国会をお茶の間の感覚で見てる。国会議員が何してるなんて関心なかったけど、今はお茶の間から監視しているみたいになって、悪いこっちゃないなと。だから今の内閣の大臣は注目されてて、いいですよね。身近というか、片山虎之助さんなんて、固くて固くて名前からしてもう怖くてみたいな、それをいつの間にか覚えてる。今の内閣はなんだか身近に感じちゃいます、前は大臣なんか知りませんでしたけど。

石原:変わっちゃうからでしょう。半年くらいで。

吉田:二週間とかね。政治が以前より、身近になって、それでも選挙になると、浮動票というのかな、無党派層が多くて大変でしょ。

石原:支持するものが決まってない人のほうが多いですよね。

吉田:それいいと思うな。ずっと同なじもいいけど、その時の気分で、CD買う時だって気分で買うもん。その時々のヒット曲ってあるじゃないですか。ところで、僕、政治家と話すのもしかして初めてだ。

石原:ゲストとかいなかったんですか

吉田:会いたいなっていう人いなかったし。先週のゲストは小田和正でした。来週は石原さんだよって言ったら、よく知ってるって。どういう人って聞いたら、エエトコのボンボンだって。それっていいなって。僕、長年の憧れで、いまは何も欲しいものないけど、エエトコに生まれたかったって言うのがあって、単純に言うとお父さんからマンションかヨットを買ってもらいたかった。石原さんは御曹司なんですから、当然マンションか、せめて競馬ウマの一頭くらい買ってもらってますよね。

石原:いまそういわれて実はすごいショックでした。何にも買ってもらったことないんですよ。家だって、自分でローン組んで買っちゃった。うちの親父は以外にケチなんですよ。買ってもらうのは好きみたいだけど。

吉田:でも、慎太郎さんや裕次郎さんはおじいさんからヨット買ってもらったとかあるらしいじゃないですか。

石原:時代が違うんでしょう。昭和20年代で、サラリーマンとはいっても、船会社の重役って、いまの企業の取締役と違いますから。写真見ると、毎晩宴会やってるみたいなのばっかりですから。後ろに芸者さんがバーと並んでて。

吉田:そういう家に生まれたかった。拓郎、結婚するのか、何回目だいとか聞かれて。三回目だって言うと、マンションもヨットも買ってやったから今度は世界一周だみたいな。吉田家に生まれるか石原家に生まれるかでずいぶん人生観が違うだろうな。

石原:吉田って本名なんですか。

吉田:わざわざ吉田にするような芸能人はいませんよ。これは運命で。鹿児島の農家に生まれてなくて、船会社の重役がおじいさんだったら、ヨット二三台持ってて、おい一台やるぞなんて、そういう暮らし、あこがれちゃうな。そういうのないんですか。

石原:全然。

吉田:じゃ息子さんには買ってあげなくっちゃ。

石原:プレッシャーですね。息子はまだ三歳ですから。

吉田:結婚する時にでも、パぁーっと、どうですか。子供の人生変わりますよ。

石原:でも、良くなるか悪くなるか、どっちかでしょうね。

吉田:僕としては、ぐれてもいいから、買ってもらいたいな。だって、田舎に生まれて、他人の田んぼの稲かなんか抜いて、コラって怒られて、豚小屋入れられて、みたいな人生より、ヨット買ってもらう人生のほうがいいよね。さて、そういう慎太郎さんに何にも買ってもらったことのないという、石原伸晃さんが政治に興味を持ったのはいつから?

石原:小学校、親父が参議院選挙に出て、当時の記憶はカラーじゃなくて白黒なんですけど、一回だけ有楽町かどこかに親父の演説を見に行って、白いブレザーに日の丸のワッペンで、昭和42年ぐらいかな。子供心にインパクト強くて、なんでこんなにたくさんの人が、親父の話を聞くためだけに集まってるんだという。これって何なんだ、みたいな。それで関心が芽生えて、当時は逗子に住んでたんですけど、選挙のポスター見て、この人どんな人だろうなんて、品定めして。小学校の卒業の時の文集にも、政治家を目指すって書きました。同じクラスに政治家になりたいというのがもう一人いて、彼はもう少し具体的で、防衛庁の長官になって全軍を指揮したいなんて。

吉田:そんな風にして育って、お父さんの影響もあって、中高と政治一本?

石原:そうでもなくて、やっぱりいろんなことに関心も出てくるし、現実もわかってきて、なりたいって言っても、本当になれるのかなんて考えたりして。就職しても、キミは当然将来は政治家なんだろ、なんていわれると、僕はわりと天邪鬼なんで、逆に絶対なるもんかなんて思ったり。

吉田:小さい時に芽生えた政治への気持ちが、なくなったりとか、挫折したりとかなかったんですか?

石原:挫折というより、他のことに関心持って、僕はその頃江戸文学に凝って、西鶴とかそんな風な江戸文化の華やかさにあこがれて、そんな本ばかり読んでたんです。そしたら、父にそんなことやってたら就職なんか絶対できないぞって言われて、それで社会学に転向したんですけど、今思うと、それが一つのターニングポイントでしたね。

吉田:音楽でも、スポーツでも、自分の中にヒーローがいて、それを目指すみたいなのありますけど、政治の世界にそういう人っていたんですか。

石原:僕等のころは、ド・ゴールとか、ケネディとか、ナセルとか、外国の政治家にインパクトのある人がいましたよね。日本人だと小学生の時の佐藤栄作さん。佐藤さんは鎌倉に別荘があって、父と親しかったこともあって、遊びにきたことがありました。ギョロっとしてて、怖かったんですけど、面白いのが、奥さんにいつも怒られてる。

吉田:佐藤さんが。

石原:そう、あんまり食べるなって。もちろん総理の体調を気遣ってのことでしょうけど、ある時、佐藤さんが僕にチョコレートくれて、ほら食えって、うまいだろって、それで僕が食べるのを見てる。びっくりしました。総理ってチョコレートも食べられないのかみたいな。

吉田:小さい時から、周りにいろんな人がいたんですね。

石原:韓国の将軍なんかもいました。背広を着てるんですけど、なんか雰囲気があって。その場では聞けなくて、帰った後であれ誰だったの、なんてね。後で新聞見て、ああこの人だったんだとか。

吉田:そういう、国を動かしてる、みたいな人が、気軽にお家に出入りしてるみたいなのは、僕らからするとかなり不思議な環境ですけど、逆に反発して、親父の仕事はイヤだみたいなのはなかった?

石原:ミーハーなんでしょうね、単純に面白がっていたんす。いろんな人がきましたけど、実は一番感動したのは、浅丘ルリ子さんです。綺麗でしたねー。ほんとに綺麗だった。叔父さんとベンツのスポーツカーに乗って来たんですけど、どっかで見た人だなぁーなんて。

吉田:叔父さんですもんね。よだれが出そう。少年時代、何とかして裕次郎になりたいって思って、髪形を真似てみて、なれねぇなぁーなんてね。

石原:叔父は面白い人でした。

吉田:慎太郎さんとは違う?

石原:全然。大学生の頃、叔父は子供がいなかったんで、一月にいっぺんぐらい遊びに行くんですけど、叔父は腕相撲が強くて、それが自慢で、とにかく強い奴つれて来いって言われて、野球部の四番とか柔道部とか連れて行くんですけど、誰も叔父には勝てない。それでまた酒が長いんですよ、終わるのはいつも朝の7時、ずっと飲みっぱなし、こっちは半分寝てますけど。とにかく酒が長い。

吉田:お酒の長い人って話好きですよね。

石原:話すのは好きだったですね。飲んでる間、ずうっと話してるんですから。僕とは学校が同じでしょ、だから同級生を連れて行くと、あの先生はいま何してる、とか。

吉田:いいなぁー。当時の日活映画が僕の青春ですから。裕次郎から赤木圭一郎から吉永小百合、浅丘ルリ子、芦川いずみなんてねぇ、もう大変。そういう人たちがお家に来るんですから、そりゃ吉田家と石原家とは違う。

石原:叔父が一番売れてた日活の頃は記憶にないんです。始めて見て、覚えているのは太平洋一人ぼっちっていう堀江謙一さんの映画です。

吉田:さて、少しお仕事の話ですが、政治の仕事をされてて、僕達国民が何を求めてるかというニーズが変わってきてるとか、変化を感じますか。

石原:感じますね。90年代を通して、二極化しちゃったじゃないですか。本当に困ってる人と、生活できないって言うほどじゃなくて、そこそこお金も持ってるっていう人と。そういう人たちは豊かなんですよ。そんな人と会うと、本当に不景気なのかな、なんて。

吉田:東京にいると、ビルは建つし、再開発はしてるし、東京病にかかっちゃって、景気が悪いなんて気はしない。

石原:東京と地方との格差が出てて、地方に行くと町の雰囲気が違う。なんだか寒いな、みたいな。飲み屋に人がいないとかね。特に大阪がひどい。東京だけ見てると見誤りますよね。

吉田:あちこち行かれて、いろんな人の声を聞かれることと思いますが、僕は若い人が発言するっていうことが、以前より多い気がするんですが。

石原:若い人は多いですよ。いまはインターネットなんかがあって、関心のある人は自分からアクセスしてくる。うちの事務所にも何人かボランティアで政治の勉強にきている学生さんがいますけど、なかには面白い先生がいて、政治家の事務所でお手伝いをすれば、政治の授業の単位をくれるとか。非常に関心高いし、いろいろ言うし。

吉田:以前は、政治家を目指す人って、ごく限られた人だった気がするけど、これからは違うんですか。

石原:私の事務所にも、政治家になりたいっていう若い男の子や女の子がいます。20代ですけど。

吉田:唄だったらヒット飛ばそうとか、映画だったらスターになってみんなにサインしてやろうとか、分かりやすいけど、政治家を目指す人って何がしたいんですか。

石原:私は国会議員ですから、この国を立ち直らせて、みんながこの国に住んでて良かったみたいな国にしたいって言う基本がありますよね。それが、県や都だったら地域をどうしたいとか、市とか町だったら暮らす人の生活をどうしたいみたいに、身近になる。そんな風に、同じ政治といっても、目指すことは違うんでしょうけれども、行政と国民との間の潤滑油が政治だと思うんです。頭のいい官僚が、こうすべきだといくら言っても、それは町の声を聞いていないことが多い。行政と町の暮らしの間に政治がある。どこにでも政治はある。だから若い人たちは、何が何でも国会議員になろうっていうんじゃなくて、自分の考えにあった形で、あった場所で、政治にコミットしようとしている。だから若い地方議員ってすごく増えてますよね、この10年で。

吉田:若い人が政治を目指すことのできる環境も整ってきたんですかね。

石原:選挙が変わって、お金がかからなくなったって言うのが大きいですね。四畳半に電話一本引いて、自分達でビラ作って、蒔いて、それで当選する人も現にたくさんいます。情報を伝える媒体も増えてますから、昔みたいにポスターをたくさん貼らなきゃ当選できないみたいな時代じゃない。どんな人でも何か訴えるものがあれば当選できる。

吉田:僕は50いくつまで生きてきたけど、一度だって政治を目指したことはない。いつも遠くから野次を飛ばしてはいたけど。政治を目指すってどういう感覚なんですかね。

石原:拓郎さんの世代と私達の世代と、また若い世代、20代の世代って違いますよね。

吉田:音楽も含めて、日本がドンドン変わって欲しいし、だから若い人に頑張って欲しい。さて、ここでリスナーからのお願いで、お父さんがこれからどうするのか伸晃さんに聞いてくれって言うんですが。新しい党を作るとか、お家でそんな話はするんですか?

石原:しませんね。

吉田:二人の考え方が違ってもいいんですもんね。

石原:違うけれども、親子だから、わりを食うのはいつも子供のほうです。

吉田:ヨットも買ってくれないのに、わり食うんじゃ、わりがあわない。マンションぐらい買ってくれるんならいうこと聞いてもいいけど。でも、政治を志す以上、誰でも総理を目指すもんでしょ?

石原:それはあると思います。政治家はどこにいても一国一城の主だし、目標はといえば、そこの長になって、全てを自分の考える理想のものに近づけたいっていうのがあると思います。

吉田:政治家っていうと、昔はもっと権力ギラギラみたいなものがあったような気がしますが、いまはそういうのってないんですか。

石原:昔は権力をちらつかせて物事を進めていったんでしょうが、いまは総理も含めて、そういうやり方は流行らない。僕自身も小泉内閣で閣僚にして頂くまでは、批判勢力だった時期のほうが長いんですが、いまは権力を持っているサイドにいるわけで、自分が思うことができる立場にいる。それを行使できることの怖さみたいなものを感じています。例えば、道路のことにしても、無駄があんまり多いんで、道路はもう要らないっていう方向で世論を引っ張る。ところが、実際に見てみると、要らない所も多いけれど、必要な所もやっぱりある。そういう本当に道路を必要としている人たちからすると、私は疫病神に見える。それは私が権力を持っているからで、そういう人たちの憎悪っていうものを通じて、リアリティを持って、権力を持つっていうことの怖さを感じる。自分がいいと思っても、必ず反対の見方がある。そういう中で、政策をどうしようっていうことを決められる側と、そうでない側とのせめぎあいがある。その中で物が決まっていく。それが政治ですから。

吉田:国会を見ていて、まぁそんなに関心をもってというわけじゃないけど、遠くからボォっと見ていて感じるのは、それは何の世界でもあることだけど、物事が変わりつつあるのに、それを感じてはいても、いままでやってきた歴史を背負っていると、それを変える勇気っていうのは、自分を捨てたりとか、すごい要るんですよ。

石原:拓郎さんだって、僕が聞いてた頃の拓郎さんじゃないですもんね。

吉田:すっかりカドが取れて、いまや、バラエティの王者ですもん。自分が変わったことを全て肯定するわけじゃなくて、堅物でいたかった所もあるけど、自分がやってきた歴史みたいなものがずぅっと積み重なっていくと、それが時々鬱陶しくなって、これは単に僕の性格ですけど。ただ、それを捨てろって言われた時に、それを捨てる勇気を奮い起こさなきゃいけないと思う。なのに、国会を見てると、捨てきれない親父だなぁ、という人が目に付く。

石原:しがみついてるんですよね。今までやってきたことを捨てる勇気って大変なことで、だから総理が捨てよう、変えようって言うと抵抗が大きい。

吉田:もっと言うと野党も全然捨てきれてなくて歯がゆいんですが。さて、石原さんは音楽なんて聴かれるんですか? 音楽はそばに置いておいたほうがいいですよ。絶対これだけはおすすめします。どんな曲でもいいですから、面白くないなと思ったら音楽。音楽は人を豊かにしますから。

石原:最近は娘が13才になって、流行の曲を教えてくれて、お父さん聞いてみなよ、とか。こないだは弟の結婚式で、堂本君がいて、お父さん友達なの、なんていわれて、友達じゃないっていったんですけど、写真撮りたいから頼んでって言われて、一緒に写真とったりして。

吉田:キンキとは不思議な仲になっちゃって、よくメシ食ってるんですけど、あの二人はとにかくいろんなことを教えてくれて、それあきまへんがな、なんて言われて、あーそうかなんて反省したりして。同年輩は何にも教えてくれないんですけど、下の奴はいろんなことを教えてくれる。それはとってもありがたいことで、僕にとっての財産なんです。

石原:音楽のヒントとかもありますか

吉田:あります。若い奴の中にはすごくたくさんあって、同年代にはゼロ。

石原:拓郎さんは最近はコンサートなんてしないんですか?

吉田:そりゃ、失礼じゃないですか。今年やりますから、石原一家を全員招待しますから、そしたら、マンション買ってください。

石原:マンションはともかく、絶対行きます。

吉田:さて、先ほども話に出てきた、裕次郎さん。ゲストがゲストなんでどうしてもこの話になってしまうんですが、この人を叔父さんって言える、その身分がうらやましい。僕の叔父さんなんて普通のオヤジだもん。ケーブルテレビで裕次郎さんの映画をやってると、どうしても見ちゃうんですよ。僕はあの頃の日活の映画の大ファンで、どうしても裕次郎になりたかった、小林旭じゃなくて、裕次郎。何でかって言うと、裕次郎は学校の先生なんかの役が多くて、女子高生の憧れの的で、それで女の先生と恋愛なんかして、それがまた芦川いずみだったり、浅丘ルリ子だったりする。それがもう悔しいのなんのって。だからどうしても裕次郎になりたかった。この頃の日活映画って、裕次郎の石坂洋二郎ものはリアリティがあるんだけど、他の、特に小林旭のは馬に乗って拳銃もって、カウボーイみたいな、日本にこんな県があるのかっていう、無国籍もの。でも、何だかんだ言いながら新しいのが封切られると、必ず見に行った。

石原:さっきも言ったんですけど、その時代は知らないんですよ。この時代の映画は大人になってから見たんですけど、この時代が、きっと叔父が一番輝いていた時だと思うんですが、この時代の思い出がないんです。

吉田:伸晃さんがお会いになっても、裕次郎さんっていうのは、やっぱりイメージのままの、見るからにスターって言うか、輝いてて、豪快な方だったんですか。

石原:とにかく、賑やかなのが好きで、周りに人が沢山いるのが好きで、ただ晩年は、すぐ酔っ払っちゃいましたよね。すぐっていっても、ブランデー一本ぐらいは平気で飲んでましたけど。

吉田:そりゃ、ブランデーを一本飲めば、普通は酔いますよ。慎太郎さんも強いんですか。

石原:二人とも強かったですよね、半端じゃなく。

吉田:伸晃さんも強いほうですか。

石原:僕は強いほうじゃないです、水割り三杯が適量。

吉田:ブランデー一本に比べると普通ですね。会いたかったなぁ、裕次郎さん。日本人が、絶対に忘れられないその人を、叔父さんと言えるこの人。今日のゲストは石原伸晃さんですが、せっかく行革大臣にきて頂いたんで、その話を伺いますが、大臣を引き受ける時はどんな気持ちでした。厄介な仕事だなという実感があったんですか、どうせならあの大臣やりたいな、とか。

石原:初当選以来、ずっと金融を専門にしてましたから、もしいつかできるなら金融をやりたいな、なんて思いはありました。それが、金融担当は柳沢大臣が留任だっていう報道があって、今回は大臣はないなと思ってました。行革は実は、趣味というか、自分の中のメインじゃなくて、地味にコツコツやってたんです。それが、まさか自分が行革大臣っていうのは、ビックリでしたね。

吉田:サンドバックになれ、なんていわれて。

石原:最初はサンドバックって言われても実感がなかったんですけれど、もっと行革やれって言う人がいて、反対側には行革反対って言う人もいて、両側から叩かれて、総理はうまいこと言うなって、しばらくたって実感しました。

吉田:でも叩かれているうちに、しなやかさが生まれてくるって言うか、石原さんにとっては、とてもよかったんじゃないかと思うんですけど。

石原:まだ打たれ足りないって言う人もいます。難しいですよね、サンドバックですから自分から打っちゃいけないし。お前、先頭に立って、殴って来いって、ガツっていけっていうんなら簡単ですけど。ガンガンいくだけじゃダメで、やっぱり反対する人たちにも、ある程度は理解してもらわなきゃ話が進まない。さっきも言いましたが、道路にしても、要らない道路も多いけれど、地方に行って実際に見てみると、必要な道路もやっぱりある。要らないって言うだけじゃすまない。でも、要る要るって言ってると、無駄な道路が止まらない。そんなジレンマはありましたよね。

吉田:その道路ですが、僕もツアーであちこち回りますが、北海道なんか行くと、スゲー立派な道路が直線でどこまでも続いていて、車は全然走ってなくて、熊しか通らないよみたいなのがある。そうかというと、静岡には作りかけで、インターチェンジまでできてて、ここまでやっといて、もし止めたらこの先どうするんだみたいな所がある。よく分からなくなるんですが、石原さんから見て、まず道路が要るって言う人の言い分って何ですか?

石原:道路が要るって言ってる政治家には、自分の選挙区に道路を作りますって約束している人が多い。作ることは決まっていても、順番がまだこないとか。実際に地方で話を聞いても、道路を作れって言う人は確かに多い。でも何で高速道路かというと、タダだからです。日本のいまの高速道路のシステムというのは、東名高速とか中央高速とか、儲かってる高速道路の料金を高く設定して、そのお金を回して地方に道路を作る。だから地元の負担がない。だから、タダだったら作ってくれと。しかも、工事の際は地元の業者を何割入れなきゃいけないとかいうきまりもあって、下請けで地域も潤う。そういう仕組みですから道路を作ってくれという大合唱になる。

吉田:それを全部否定はできない。これだけ不景気だし、その仕事を取り上げるのはいくらなんでも酷だとかいうのもあるでしょ。

石原:拓郎さんはコンサートで全国を回っているから、比較ができる。私も全国見てまわりました。もちろん無駄としか思えない道路もある。他方、鉄道も単線、国道も一車線で、海に面してて、風が吹いて海が荒れたら、波をかぶってもうお手上げみたいな所もある。そういう所では、山の上に高速道路を作らないと、ライフラインがすぐ途切れちゃって生活できない。ただ、地方に行けば、誰もが高速道路が欲しいかというとそうでもない。要らないという人もいる。インターチェンジまで何キロもあって、わざわざそこまで行って高速道路になんか乗らないと言う。それよりも町がいつも渋滞だから、町を迂回するバイパスを作ってくれと。だから何が欲しいかという、住民のニーズにも地域差がある。もう高速道路は一切作らないというのが一番簡単で、格好いいんですけど、そんなに単純にはいかない。それが全国を歩いた実感です。

吉田:必要な所もある。そういう所は作っていくんですよね。

石原:ですから、今度の民営化委員会の提言の中で、地方も負担しろと言っています。国も地方もお金を出して作って、もともと採算があわないんですから、そういう所は借金でなくて、国と地方の負担で作ろうと。それで、そういう所は無料でいいじゃないかと。そういう事を決めました。今後はそういう方式で作ってくれ、という声が強くなってくると思います。

吉田:僕にしてみれば道路公団が民営化しようとしまいと、どこに道路作ろうと知ったこっちゃないけれど、とにかく高いなというのが不満ですよね、安くしろよと。

石原:それが普通の人の正直な意見ですよね。私も通行料は高いと思う。御殿場にアウトレットモールができた時、うちの家内が喜んで行ってきた。私にTシャツを買ってくれた。子供にもズボンを買ってきた。それで、安い安いと喜んでいる。でも良く考えてみると、往復の高速代、ガソリン代を考えたら全然安くない。これを安くしたい。できるんです、やり方で。だって、高速道路の作り方にはあまりにも無駄が多い。例えば、平らな所にも、盛り土をして、5メートルくらいかさ上げして道路を作る。どこでも高速道路って高いですよね。でも、例えば、小田原厚木道路って言うのがあります。これは厳密に言うと高速道路じゃないんですが、使う側にとってはおんなじことです。でも高速じゃないから、周りとおんなじ高さに道路がある。あれで十分ですよね。そんな風に作れば安くできる。これまでの作り方が贅沢なんですよ。

吉田:料金が高いから、高いとこ走っているから、ハイウェー、なんてね。景色が良いと気持ちいいですけどね。渋滞なんかしてると、なんでこんな金払うんだって頭に来る。それも、料金がだんだん下がっていくんならいいけど、逆に値上げするという。しかも、新しい道路が、とんでもない所にできたと思ったら、やたらと高い料金取ってたりする。これじゃ誰も使わないなという道路がある。素人考えでもこりゃいらないなというのが沢山ある。

石原:作っちゃったはいいけど、料金が高すぎて誰も通らないという道も実際にあります。ここは、思い切って料金を安くしたらいいんです。できればタダにしたらいい。高い値段をつけて、そのお陰で、せっかく作ったのに誰も使わないというのが、実は一番無駄なんですから。そういう所は有料といったって、収入はたかがしれてる。誰も通らないんですから。それよりは、タダにして、使ってもらったほうがまだいい。でも、そう言うと役人はすごく抵抗します。借金して作り、通行料でそれを返すという計画ですから。しかし、本四架橋やアクアラインを見れば分かるように、料金が高すぎると使う人は少ない。だから収入も増えない。借金が返せない。だからまた料金を上げる。もっと人が通らなくなる。悪循環です。それなら、思い切って料金を下げて、みんなに利用してもらったほうがいい。そういう感覚が役人にはないんです。それを言うのは政治の役目だと思います。

吉田:そういう役人って、何なんですかね。誰が選んでいるんですか。

石原:試験です。それも変えなきゃいけない。試験がマニアックになっていて、クイズみたいな、役に立たない、知らなくてもいいことばかり試験に出る。これを直そうというのも、行革です。

吉田:でも、役人といっても石原さんと同年代の人もいるわけで、そういう中にはもっと柔軟な人はいませんか。

石原:そういう人も確かにいますが、役所はピラミッドの組織ですから、ポジションが上がれば上がるほど、固くなってしまうんです。

吉田:政治家はどうですか、やっぱり上がると固くなる?

石原:私は当選四回ですが、当選回数が増えればそれだけ発言には気をつけなきゃいけないなと思っています。

吉田:保守的になるとか。

石原:そういうことじゃなくて、何か一言いうことで、影響が大きいんです。これは金融国会の頃、五年位前の出来事なんですが、為替の話を何の気なしにしたら、それを外国の通信社が報道して、日本は夜でしたけどロンドンの市場がまだ開いてて円が売られた。そしたら、知り合いのディーラーから電話がかかってきて、石原さん大変だ、あなたの発言で円が売られてる、と言うんです。大蔵大臣でもないのに、と思ったんですけど、そういうことを材料に売り買いしてる人がいるんですね。それからは為替の話は一切しないようにしてます、危なくて。

吉田:とはいっても、石原さんが国会に入られた頃に比べると、時代も変わって、役人にも同年代の人も増えてきて、もっと柔軟になってきて、どうですか、これからは俺達の時代だから大丈夫だって言えますか?

石原:いまは過渡期だと思います。いままでの仕組みを変えるわけですから、それがうまく転がりだすには、それなりの時間はかかるかもしれませんが、私はこの国は大丈夫だと確信しています。

吉田:このまま転がり落ちていくんではなくて、とんでもないことになるっていうんじゃなくて、立ち直るのももうすぐだろうし、いずれ違う意味での繁栄があるって言うか。

石原:日本人てちょっと自虐的ですよね。新年会で顔を合わせると今年は景気が悪くてっていう話ばかりで、、うまくいってる人まで、景気が悪いって言う。その一方で、車なんか見ると、アメリカのビッグスリーより、日本のメーカーのほうが調子がいい。ファックスなんて、日本が90%以上のシェアを持ってる。ロケットの頭を作るような、高性能の工作機械は全部日本製。あるいは、車の金型。これは群馬の中小企業が一手に作っていて、世界中の自動車のメーカーが使っている。この間、ノーベル賞をお取りになられた小柴さんに聞いたら、十年以内に自分の弟子が二人くらいはノーベル賞を取るだろうという。この国には、能力もテクノロジーもあるんです。もっとそれを言えばいいのに、悪いほうばかり言うから、みんな萎縮しちゃう。それと、二極化ですよね、東京と地方の差が開いちゃってる。それは地方の空洞化だと思います。僕らが小学生の頃は、各県に特産物があって、地場産業があって、特色も活力もあった。いま全部それが中国に行っちゃった。これを戻していくようにしないと、働く場所も少なくなるし、もっと国からお金をくれって言う話になる。それをいま変える過渡期だと思います。

吉田:将来、石原総理があるとしたら何年後ですか?

石原:石原父の総理ですか、息子のほう?

吉田:もちろん、マンション買ってもらえなかった息子のほうです。

石原:もうワン・ジェネレーションありますよね、拓郎さんたちの世代が。総理も若く見えるけどもう60才で、その次に拓郎さんたちの世代があって、その次が私達の、セイヤング世代ですね。

吉田:その世代は、もう、捨てちゃって、バっといけばいいのに。その勇気が要るんですよ。日本って、いますごくつまんないことやってて、尊敬する気持ちというか、なんか感動したらバッと立って拍手するみたいなそういうことがなくて、なんかすごく遅れてて、成熟してないっていうか、僕等の側も古いことばっかり、固いことばっかり言ってる。役人も、試験で選ぶというけど、若い人も有能な人もいるはずで、そういう人たちに対して、僕達が素直に拍手で頑張れって言えるような気持ちを素直に持てたらいいのに、そういうのって、昔の政治家は僕らに教えてくれなかったですよね。選挙の時だけ、いきなり握手してくるだけで、僕なんか抱きしめられるんじゃないか、そうじゃないだろうみたいな。そういう気持ちを石原さんが僕達に教えてくれるといいですよね。

石原:いまは、握手だけじゃダメで、話を聞いてもらわないと。前の選挙の時は、いろんな所で立ち止まって話をしました。そうするとみんな、立ち止まって聞いてくれる。変わりましたよね。最初の選挙の時は、やっぱり握手ですよ。何はなくともスキンシップ、みたいな。

吉田:田舎に行くと、今でもそうですからね。とにかく、もっとチャーミングな政治家にいっぱい出てきてもらって、僕らが政治に目を向ける時間がもっと多くなって欲しい。石原さんは、僕的には、いまのところチャーミングだと思うんで、このイメージを壊さないで下さいね。今日はどうもありがとうございました。

「セイ!ヤング21」は毎週月曜〜金曜午後7時〜9時文化放送(全国26局ネット)にて放送中

セイ!ヤング21ホームページ:
http://www.joqr.co.jp/say-young21/friday/index.html
吉田拓郎ホームページ:
http://www.teichiku.co.jp/artist/takuro/index.html

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