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40代宰相論
古賀純一郎著
東洋経済新報社
\1600(税別)
坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通など若き憂国の志士らが、陋習にまみれた江戸幕藩体制をたたきつぶし、日本を近代国家へと導く足がかりを築いた明治維新の連想なのか、それとも、長期低迷から日本を救い出そうという究極のショック療法なのか、ここにきて、「四〇代宰相論」「四〇代経営者論」が台頭している。
京セラ会長の稲盛和夫が、今年に入って突如、七〇代のリーダーの退陣と四〇代への世代交代を求める論陣を声高に張り始めた。約二〇年前、巨人、日本電信電話(現NTT)の独占を切り崩すため、第二電電(現KDDI)を、私財を投げ打つ覚悟で立ち上げ、それが起爆剤となり、日本の電気通信事業の自由化・発展に大きな役割を果たした、ベンチャー企業の旗手の、あの稲盛が、である。守旧派の執拗な抵抗を前に、かけ声ばかりで、思い切った構造改革を断行できない政界、経済界の指導者らに危機感を募らせてのドラスチックな世代交代を求める発言だ。「今だったら、あのような無謀な決断はできなかった」と経営者としての自らの半生を振り返るとともに、「五〇代では、(自らの)志に殉じるのは困難」「明治維新の原動力となったのは三〇代」との岩盤をえぐるような鋭い警句である。国際派と色分けされる経済同友会代表幹事の小林陽太郎にしても、若手政治家の台頭を歓迎する財界人の一人である。
問題の先送りに終始する政財界のリーダーたちに思い切った若返りを求める論調は、経済誌にも目立つようになった。ビジネスマンに好評の『日経ビジネス』は、二〇〇二年七月一日号で「四〇代が社長の限界」を特集、経済界に鋭い問題提起を果たした。ビジネス・リーダー論で定評のある『PRESIDENT(プレジデント)』誌も、やはり八月一二日号で、「男四〇代、『取締役』の研究」を取り上げた。事実上の四〇代への世代交代を促す内容である。NHKなどの報道番組でもこうした動きを取り上げている。
四〇代が政財界のトップに就任するのは、欧米では、異例でも何でもない。労働党党首だったトニー・ブレアは、一九九七年五月、四七歳でサッチャー首相から政権の禅譲を受けたジョン・メージャーを首相の座から引きずり降ろし、英国史上最年少(四三歳)で、ダウニング10(英首相官邸)入りを果たした。米国は、六〇年代にジョン・F・ケネディーが、九〇年代には、ビル・クリントンがそれぞれ四〇代で大統領に就任した。六〇歳の小泉純一郎首相に対し現在の米国大統領のジョージ・W・ブッシュは、五六歳である。
トップ企業でも同様だ。米ビッグ・スリーの一角、フォード・モーター会長のウィリアム・クレイ・フォードは、現在、四五歳。マイクロソフト会長のビル・ゲイツが四六歳、ゼロックス会長には、昨年、四九歳で女性のアン・マルケーヒーが就任した。同じく女性陣では、ヒューレット・パッカード会長のカールトン・フィオリーナが四七歳。コンピューターの巨人、米IBMの最高経営責任者(CEO)に、この三月、五〇歳のサミュエル・J・パルミサーノが就任。マスコミでは、昨年夏に、二万人の陣容を誇るロイター通信社のCEOに四三歳のトム・グローサーが就いた。という具合だ。チャレンジ精神はもちろん、バイタリティーと時代感覚にあふれ、エネルギッシュに活動するこうした世代が、激動する国際政治・経済体制を動かしているのが現実なのである。
それでは、今の日本は、戦国時代、あるいは、江戸末期のように、堅固なアンシャンレジーム(旧体制)、長老支配に異を唱え、敢然と立ち向かう若手の決起は、期待できないのか。
二〇〇二年三月の横浜市長選で衆議院議員のポストをなげうって出馬、三七歳の若さで、横浜市長に当選した中田宏に代表される、若手の層の比較的厚い民主党は、九月の党首選で、世代交代を求める声が噴出した。賞味期限切れとの声さえある鳩菅体制に対する事実上の引退勧告である。だが、党首の鳩山由紀夫は、議員バッジを賭け、旧体制の死守を宣言するという、何とも時代錯誤の感覚を天下に知らしめた。
高齢化が極端に進行し、一九八〇年、九〇年代に首相を務めていた長老がなお、奥の院に鎮座する自民党では、表面だったこうした動きはない。だが、水面下では、こうした不満は確実にくすぶり続けている。後継が見当たらないという消極的選択から長期政権説が唱えられている小泉純一郎首相だが、ひと皮剥けば、「後継は一気に、若返りを」との待望論もある。
その受け皿として注目されているのが自民党では、「洟垂れ小僧」の部類に入る、石原伸晃、塩崎恭久、根本匠、渡辺喜美の四人だろう。
最年長は、五二歳の塩崎、一番若いのが四五歳の石原。民間企業だと、さしずめ取締役の一歩手前の部長か次長クラス。企業社会では、もっとも脂が乗った、会社を実質的に動かす中間管理職以上の年代。社長としての大抜擢があってもおかしくない世代だ。
四人が脚光を浴びたのは、一九九八年秋の金融国会だ。与野党折衝を仕切る実質的なリーダーとして、彗星のように登場。慣例や過去にとらわれることなく、度肝を抜く手法で、野党と渡り合い、長老の族議員を差し置いて金融国会の最大のテーマとなった金融再生法案をまとめ上げた。自民党議員であるにもかかわらず、既得権に妄執する、特殊“自民党”的な悪弊に嫌悪感を示し、決別を声高に主張し続けていただけに、「一般市民の言葉で物を語れ、しかも世間の常識が通じる政策通のなかなかすごい若手が出てきた」と好感を持って迎えられたのである。
だが、官僚と一線を画し、政策をまとめるその手法は、過剰接待汚職などで批判を浴び、“脳死状態”の大蔵省の存在意義を一段と低下させ、誇り高き旧大蔵官僚から「役所を利用しないのは税金の無駄遣い」と目の仇にされた。
党内のバッシングもあった。難解な用語が飛び交う金融の議論に加われない長老たちは、「自分たちを差し置いてとんでもないことをしでかす」と、冷ややかな目でみた。既得権益や利権に聡い族議員からも疎んじられたのである。
四人を揶揄した“政策新人類”の言葉には、旧世代の常識が通じないという批判的な意味と、旧来の官僚機構への全面依存とは次元を異にし、「自分でものを考え、政策を立案する」という、これまでの自民党にはなかった議員たちの出現、そうした新時代の到来を歓迎する屈折した二重の意味合いが込められていた。
四人の矛先は、既得権益の確保に血道を上げる自民党の政治手法、守旧派にも及ぶ。党体質の変革を求める若手の「青年将校」としても脚光を浴びるようになる。
一桁の低支持率に喘いだ前首相、森喜朗の時代に、密室・派閥政治など「自民党的なるもの」からの決別を党執行部に執拗に迫ったのは、覚えているだろうか。倒幕のため、「自民党の明日を創る会」を立ち上げ、政権構想を発表したのも、そう古いことではない。二〇〇〇年秋の「加藤の乱」では、「勝負のとき」と、意を決し立ち上がった。だが、政局への読みが甘かったのか、中途半端な幕切れで、撤退を余儀なくされた。当時の執行部から完璧に干され、捲土重来を期し、水面下での活動を余儀なくされたのである。
幸運なことに、二〇〇一年四月末、「聖域なき構造改革」を標榜する小泉純一郎内閣が誕生し、四人に、活躍の場が戻ってきた。時代の風が味方したともいえよう。行革相に石原が、残る三人は、日本国そして自民党の将来像を描くため首相が創設した「国家戦略本部」・国家ビジョン策定委員会の座長などに抜擢された。
こうした新世代の台頭に対する一般の反応がよいのは、能力や識見、経験などをほとんど考慮せず、当選回数が軸の年功序列を基盤とした自民党の意思決定システム内に積み重なった制度疲労が、無視できないものになってきたためであろう。激変する時代に適応できない弊害がはなはだしさを増してきたわけである。
小渕恵三後継総裁選出でみられた不透明な政策決定過程、小泉構造改革で白日のもとにさらされた道路族や霞ヶ関省庁などの既得権益の頑強な擁護に回る姿勢にはほとほと愛想を尽かされた。将来を嘱望された加藤紘一、橋本派の実力者、鈴木宗男のスキャンダルは、トドメを刺した観がある。
節目になると生き生きと目を輝かせて登場する長老、首相経験者の政治への介入にも疑問の声は上がる。横車が入ることで、政策が捻じ曲がり、責任の所在が一段と不明確になる。無責任体制に拍車がかかるわけだ。グローバル化が進展する世界経済のなかで、地球規模の競争にさらされる企業は、国際競争力の源泉となる活力を維持できなければ生きていけない。企業の新陳代謝、トップの若返りのため民間企業が定年を設けているのにもかかわらず政界では、老害批判が無縁のようである。当選が自己目的化し、既得権益に固執する族議員が支配する利権政治から抜け出られないというのは当然であろう。
「事業の進歩発展にもっとも害なるものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である」住友第二代総理事の伊庭貞剛は、こう喝破したという。日本は、百年前から進歩していないということなのか。
政治献金などを通じ自民党政治に詳しい財界筋は、モチ代などに代表されるカネやポストなど利権構造に支えられた自民党の派閥は、「あと数年で消滅。代わって、政策を軸に結集する政策集団が出現する」と予言する。親分、子分の関係で“鉄の団結”を誇った旧経世会・橋本派などの自民党の派閥がなくなるというのである。
なぜか。先の政治資金規正法改正で、二〇〇〇年一月から個人の資金管理団体に対する企業・団体献金が禁止、となったことが背景にある。個人の資金管理団体に対する企業・団体献金が禁止されたことは、派閥の領袖に派閥運営のための軍資金=企業・団体献金が入らないことを意味する。派閥の領袖が、企業献金などを自分の資金管理団体にかき集め、これを支給するという、典型的な派閥運営システムが、機能しなくなるわけである。実際、派閥の領袖の「台所事情は火の車」(同財界筋)といわれる。カネを軸とした派閥は、もはや、存続しえない環境が、着々と整備されつつある。かくして、派閥は、「カネ」から「政策」へと大きくシフトする。そうしたなかで、政策形成に何よりもまして比重を置く若手、そして新人類の求心力が、強まるのは間違いない。
本書では、冒頭の稲盛京セラ会長の「四〇代宰相論」を皮切りに、四〇代宰相論のモデルケースとして、小泉後継としの待望論が渦巻く代表格、石原、塩崎、根本、渡辺が、日本の改革で守旧派と激突、格闘する姿を取り上げる。
「40代宰相論 はじめに」より引用

