メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

東京新聞 平成14年5月5日
「政」を問う(特別編)
私が語る「ザ・原点」 副将戦
自民 石原伸晃氏
いよいよ副将戦です。細川護熙元首相は非自民連立政権を樹立した当時、″高い内閣支持率を誇りましたが、さっそうとした「いでたち」も人気の秘けつでした。以来、永田町では、政治手法も含めた「スマートさ」がリーダーの必須条件となりつつあります。今回はそうした要素を備えた代表格同士の対決です。果たして、彼らは「見た目」だけなのか、「中身」もあるのか−。
■自民 石原伸晃氏(いしはら・のぶてる)
1957年、神奈川県逗子市出身。45歳。慶大文学部卒。行政改革・規制改革担当相。衆院東京8区、当選4回。88年に結婚。妻と1男(2歳)1女・(小学6年)の4人家族。98年の金融国会では、金融再生法制定にかかわり「政策新人類」と呼ばれる。俳優の故石原裕次郎氏は叔父にあたる。
■なぜ政治家になったのか
<激動期の変革、今しかない>
「実はおやじ(石原慎太郎東京都知事)が国会議員になる前から、政治に関心があった。小学生のころ、学校帰りに地元の逗子市長選や市議選の演説があると、立ち止まって聞いていた。不思議だったね。『どうしてこんなに大勢の人が集まるんだろう』と。ポスターにも興味があって、一枚一枚チェックして歩いたりした。僕は、人間観察が趣味だったんだよ」
「そうしていたら、おやじが参院選全国区に出馬した。白いブレザーを着て、胸に日の丸をつけて選挙運動しているのを母親と見に行った。私はそんな恥ずかしいことできないが、『おやじも政治を志してたんだ』と、子ども心に政治家への道を強く植え付けられた。政治をより身近に感じ、小学六年生の作文には『政治家になりたい』と書いた。何をしてやろうというより、自分でどこまで何ができるか、可能性の方に思いを寄せていた」
「決断したのは、竹下内閣の崩壊を目の当たりにした時。日本テレビ記者として取材していたが、リクルート事件で竹下内閣がボロボロになり、リーダーもみんな失脚しちゃった。その時、激動の時代を予感した。
『チャンスだ。激動期なら、僕ら若い者でもこの国を変えることができるかもしれない』と。おやじからは『もう少し待て』と言われたが、地盤を引き継ぐつもりもなかった。とにかく『今しかない』との思いだった」
■これだけは成し遂げたいこと
<源泉徴収廃止で帰属意識変える>
「いい政治が行えるかどうかの基本は、国民の国に対する帰属意識、参加意識がどれだけあるかだ。そのために、これだけはやりたいと思っているのが、(サラリーマンなどの給与から税金を天引きする)滞泉徴収の廃止。税は申告納税を原則にすべきだ。そのことで自分たちが税金を納めていることが初めて実感でき、帰属意識も変わってくる。政治にもっと関心を持って、はっきりものを言えるようになる」
「支援者から『父親と同じことをしていちゃだめ』と言われ、税制や金融をずっとやってきた。これからは、政治家が自分の政策で勝負すべきときだ。私は自分の得意分野で勝負していく。それが他の分野の政策にも応用できるはずだ」
- お勧めの一冊:「地の糧」アンドレ・ジイド
- 尊敬する人物:シャルル・ドゴール元仏大統領
- 普段の財布の中身:5万から10万円
- カラオケの十八番:「アゲハ蝶」ポルノグラフィティ
- 休日の過ごし方:運動したり、子供とレストランに行く

