メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

新しい政治をどうつくるか
懸案の解決には
「大連合」しかない。
若い世代を中心にまず
「部分連合」を
日本の論点 2001
- 【執筆者紹介】
- 石原伸晃
- personal data
- いしはら・のぶてる
1957年神奈川県生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、日本テレビに入社、政治部記者として大蔵省・外務省・官邸などを担当。89年退社し、翌年衆議院議員に当選。現在4期目。2000年6月の総選挙での自民党大敗後、総括をしない執行部に反旗を翻し、若手議員を結集して「自民党の明日を創る会」を旗揚げした。「政策の専門家」を自任し、共同通信の全国世論調査では「21世紀のリーダー候補」として期待される政治家のトップに選ばれた。
自民惨敗は正当性なき自公保連立の結果

今世紀最後となった総選挙で、私は皆様方の温かいご声援により、10万票を超える得票で、4期連続の当選を果たすことができました。しかし東京では次代の自民党を担うと言われていた与謝野馨さんや現職の通産大臣・深谷隆司さんなど現職8名が落選し、東京自民党は半減しました。さらに、小選挙区での敗北ばかりではなく、個人票に対する自民党票の割合が4割台と、前回の6割台から大きく落ち込む惨敗でした。そしてこの惨敗は、東京だけのことではなかったのです。私は当選したとき、勝利の美酒に酔うこともかなわず、「漠たる喪失感」をぬぐい去ることができませんでした。そして、「自民党は国民から嫌われてしまった。とうとうメルトダウン(炉心融解)が始まった」という、恐怖に近い思いが頭をよぎりました。振り返れば総選挙のさなか、地元の後援会長が「今回は自民党にはいろいろあると思いますので、選挙は石原君だけで結構です」と挨拶していたのが今回の結果を見事に占っています。
自民党は、負けるために総選挙を行ったとさえ思えます。まず、国民の6割が支持しない自民・公明・保守の連立政権の正当性を選挙の焦点に据えたこと。そして森総理の「神の国(*1)」や「無党派は寝ていてくれ」等の発言は、ボディブローのように都市部の選挙に影響しました。
私も議会人であり政党人ですから、連立政権そのものを否定はしません。しかし、小渕総理が主導した自民・自由の自自連立から自自公連立。さらに自由党の連立離脱・分裂を受けての自公保連立。私は国民の皆様に、この連立こそベストだと胸を張ることができませんでした。この3党連立政権への反感・反発に加えて、反公明を主張する候補者に対する執行部の露骨ないじめ、さらに公共事業のバラマキを肯定する無神経さに、有権者の嫌悪感はつのりました。そして公明党の票欲しさに、自民党候補が「比例区は公明党へ」と訴える姿が、自民党支持者の反感と失望をさらに増幅しました。そもそも連立政権と選挙協力は別ものです。自分の当選のために、他党への投票を呼びかける。これは個人票のみかえりに政党人の魂を売り渡すことに他なりません。
なぜ「自民党の明日を創る会」をつくったか
最近の日本の政治は絶対にやってはならないこと、守るべきことを見失っています。節操がないのです。本来、政治家に必要な第一の資質は、自分は国と国民のために奉仕するのだという決意を持ち続けることです。最近は代議士になることが目標で、政治家であり続けるための活動にのみ熱心という輩さえ目立ちます。政治家は国家国民に奉仕するという原点を忘れてはなりません。明治の先駆者、福沢諭吉が言うように、「国を立て願い努力することは公事にあらず。純粋な私事である」はずです。個人の高い志に裏打ちされた崇高な情念によってのみ国を立てていくことができるのです。
このように高い志を持った政治家は自民党の中にもたくさんいます。しかし38議席を失った今回の総選挙の結果を「大健闘」としてみたり、執行部にモノが言えないサラリーマン的な政治家が増えてきたことも、また事実です。私は政治家たる者どんな事情があるにせよ、己の信じることを言えなくなってしまえば無に等しいと考えます。やはり今回の総選挙は敗北であり、その原因を総括して初めて自民党の再生が可能になるはずです。このような同じ気持ちを持った仲間が1人、2人、3人と集まり、執行部にはっきりとモノを申す集団「自民党の明日を創る会(*2)」を私たちは発足させました。会の名称には「自民党の」というクレジットが入っていますが、メンバーのコンセンサスは「21世紀の日本を世界に誇れる国にしていこう」というものです。21世紀の新しい日本を創るため、国家の総合戦略を構築し、将来ビジョンを明確にします。それは官僚依存、縦割り思考を排し、政治家の政策立案能力をパワーアップし、強いリーダーシップのもとに行います。そのために戦後一度も変えることのなかった憲法と正面から向かい合い、そのあり方を見直します。そして同時に戦後の経済成長、物質至上主義によって疲弊した日本人の心、生き方について考え直さなければなりません。社会正義のためには勇気を持って行動し、他人のために泥をかぶり、思いやりの心を持つ。そんな日本人の心を取り戻し、責任感と倫理観のある国に創り直さなければなりません。
しかし残念ながら、私たちのこの思いは古い自民党の体質を持つ執行部の方々には理解されません。そこで私たちはまず地方に飛び出します。日本中を回って私たちの考えを語り、国民の皆様の声を聞き、本当に民意を反映できる国づくり運動を展開していこうと考えています。チェ・ゲバラやカストロの革命(*3)も一夜にして首都で起こったわけではありません。地方で大衆の声を聞き、その大きなうねりの中で体制を打破したではありませんか。私たちはそれを見習います。
我らが世代の5つの基本的政策とは
政策的には5本の基本的な柱を設けました。その1番目は「人が住み続けられる環境を創る」ことです。豊かな生活と引き換えに、私たちは安心できる環境を手放してしまいました。国民の4割が花粉症にかかり、新生児の半数近くがアトピー性皮膚炎などのアレルギー症を持つという現実を思えば、私たちは生活の利便性を犠牲にしても、環境のことを考えるときがきています。
2番目は「新世紀にふさわしい外交・安全保障」です。国家は国際社会において、自らの国益を守るため、ひいては国際平和の実現のために自らの意思で主導的に行動しなければなりません。そしてしっかりとした国家戦略を持ち、それを実現できる外交・防衛体制を構築します。
3番目は「スリムな行・財政改革」です。2001年(平成13年)に、1府12省庁に再編される行政組織に合わせ、公務員や議員の定数をさらに減らし、納税者本位のスリムな政府を創ります。財政については、まず国債の発行額をGDP比で一定内に抑え、経済を活性化させ、社会保障・公共事業を見直し、財政改革を進めます。さらに規制緩和、地方分権を進めます。
4番目は「安心できる社会保障」です。将来に対する漠然とした不安が、国民の顔を暗くしています。夢物語を語るのではなく、行政によるサービスが必要な部分とそのための負担をはっきりと示し、国民に納得していただくことが、政治の説明責任です。自助、共助、公助のバランスのとれた自立した福祉国家を創ります。
5番目の柱は「未来を担うたくましい子供を創る」ことです。国力の源は人材です。自立した責任ある個人を育む家庭、コミュニティ、学校を再構築します。そして中央集権で一律の基準を押しつけるのではなく、地方や、学校の自主性を重んじ、自立した個人を育む教育を確立します。 いずれにしても現代の日本はこれまで維持してきた多くの社会、経済システムを大きく転換せざるをえない時代に突入しています。コンピューター社会ではドッグイヤー(*4)で物事が大きく変化し、今のままの日本の政治の在り方ではこの世界についていけません。私たちの世代は確とした国家観と信念に裏打ちされた柔軟性とスピードを持ってこの事態に対処します。そして以上のような基本政策は、若い世代の議員の間では党派を超えて共有できると確信しています。それらが実現したとき、私たち「自民党の明日を創る会」は「日本の明日を創る会」へと脱皮するのです。
「大連合」で道筋をつけたのちに再編を
私個人の考えとしては、共産党を除く全ての政党による大連合が、現在の閉塞情況を打破する唯一の方法と考えます。98年の金融国会で民主党の若い仲間とともに議員立法を作ったことは、ある意味で連立時代の定式「部分連合」を先取りしたものです。21世紀の政治では国家的な課題でこの部分連合を積み重ね、政党同士が信頼関係を構築することができるならば大連合の可能性が高まるでしょう。
大きな曲がり角を迎えている日本の現状は明治維新を彷彿させます。当時、西欧列強による植民地化の嵐に直面した若きサムライたちは「一身独立して一国独立す」という気概を持って列強に対抗しました。1人1人が責任感と使命感を心に刻み、大連合で山積みする懸案に道筋をつけたうえで、考え方の近い議員が集まり、新たな政党の枠組みを作ることが、現在の政界の枠組みを根本的に変える私の究極的な政局論です。
<注釈>
- *1 神の国
- 2000年5月15日、ホテルニューオータニ「芙蓉の間」で開催された「神道政治連合国会議員懇談会」結成30周年記念祝賀会の挨拶のなかで述べられた。(村上(正邦・参院議員)会長その他多大なるご努力のもと、「昭和の日」などの制定をいたしましたり、今の天皇のご在位のお祝いをいたしましたり、陛下ご即位50年、60年のお祝いをいたしましたり、ま、ややもすると政府側、今、私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと全面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、その思いでですね、私たちが活動して30年になったわけでございます)。
- *2 自民党の明日を創る会
- メンバーには会長の石原伸晃(4)ほか、下村博文(2)、岸田文雄(3)、根本匠(3)、塩崎恭久(2)、望月義夫(2)、渡辺喜美(2)、河野太郎(2)、山口俊一(4)、田中真紀子(3)、平沢勝栄(2)、上川陽子(1)らが集まった(数字は当選回数)。
2000年7月5日、13人で旗揚げした同会は、1ヶ月後には加藤派を中心に、参議院議員4人を含む44名の大所帯に増えた。 - *3 カストロの革命
- バティスタ政権時代だった1953年7月、キューバのモンカダ兵営をハバナ大学の学生達が襲撃。何人かの襲撃者はその場で射殺されたが、追跡を逃れた学生の1人にカストロがいた。カストロはその後、捕らえられ禁固15年を言い渡されるが、大赦運動のおかげで55年5月に釈放。メキシコで武装蜂起を準備して56年11月に再びキューバに入るが、山中に潜伏しての苦しい戦いとなった。59年1月、バティスタ軍が降伏して、バティスタは国外に逃亡したが、以後もアメリカのCIAに援助された亡命キューバ部隊との戦いはつづいた。61年4月、アメリカの援護作戦が失敗、最終的にカストロたちの勝利に終わった。同年5月1日、カストロはハバナで「キューバ革命は社会主義革命」と宣言。アメリカとの対立姿勢を明確にしていった。
- *4 ドッグイヤー
- 人間の1年に対してイヌの年齢が約7年に相当することから、同じ期間でもはるかに進展が速いことをいうときに使う。最近は、さらに技術革新にみられる「法則」で急速な変化を強調することもある。その代表的な例が「ムーアの法則」で、マイクロプロセッサーに搭載されるトランジスタの数が、18ヶ月から24ヶ月で2倍になるというもの。これは5年で10倍、10年で100倍になることを意味する。アメリカのインテル社創立者であるゴードン・ムーア氏が66年に唱え、現在、ほぼ証明されたといわれる。さらに「メトカーフの法則」もよく使われる。これは、接続される電話数が増えるにつれて、電話台数の二乗に比例してコミュニケーションの数が増加するというもので、インターネット時代には接続されるパソコンの数が増えれば増えるほど、急速にさまざまな事象の効果が生まれることを意味する。

