マスコミ語録

メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

MAN OF THE MONTH

21世紀の日本を世界に誇ることのできる国に、
つまり「日本の明日を創る会」なんです

ゲイナー 10月号

「景気は上向いている」と言われても、庶民レベルではなんの変化も感じられない平成不況。未曾有の景気混乱の中、日本国内では同時に政治不信の声もピークに達している。

その矢面に立たされているは戦後50年、政治の中核にいつづけた自由民主党だ。

そんな自民党内にあって党批判も辞さず、若手議員をまとめて声高に叫ぶ政治家、石原伸晃。

石原の唱える、日本の政治が次に踏み出すべき一歩とはどこにあるのか?

2000年6月の衆議院選挙。東京都第8区から立候補した石原伸晃は、民主党優勢が伝えられる東京にあって、自らの議席を死守した。初めての立候補以来の4期連続当選。

しかし石原は、勝利の美酒に酔うわけにはいかなかった。

「私と同じ東京選挙区では、粕谷茂さんのような確固たる地盤をもっている代議士や、次代を担うと言われていた与謝野馨さん、あるいは現職の通産大臣だった深谷隆司さんらが落選されました。たいへん大きな喪失感を抱くと同時に、自民党のメルトダウンが始まっているのではないかという強い危機感が、私の中に生まれたんです」

小選挙区での敗北ばかりではなく、東京では比例区に自民党と書いた有権者の数が投票数の半分以下まで下落した。まさに惨敗である。そしてこの惨敗は東京だけのことではなかった。

「塩崎恭久さんの松矢まで6割くらいしか自民党への投票がない。全国的にみて、自民党への支持率が弱まっているのが明らかになりました」

自民・公明・保守3党による連立政権への反感に加え、反公明を掲げた候補者への自民党執行部による露骨な意地悪、さらには選挙期間中にも拘らず露骨な公共事業のバラ巻きを匂わせるとゆう極めて自民党的な無神経さなどへの有権者の嫌悪感が、今回の敗北につながったのではないかと、石原は分析する。口ぶりはいたって穏やかながら、話す内容には、自身が属する組織に対するのもとは思えぬほどの鋭い批判が込められている。

「今回の選挙で自民党は38もの議席を失いました。これはかつてなかったことです。しかし執行部は負けたと認めず、なかには大健闘だと言う人までいる。しかしポスト森の最有力候補といわれる加藤(紘一)さんや山崎(拓)さんまでもが、早々と森さんの再選を決めてしまった。これはおかしい。そこで私は両院議院総会で発言するつもりでいたのですが、どうしたことか、発言の機会さえ与えられなかったのです」

結局、自民党執行部が選挙の総括をしたのはほぼ1ヵ月後のことだった。

「しかも、総会で総括するのではなく、当選回数ごとに議員を集めて別々に総括を行ったんですよ。つまり執行部に自信がない。突き上げられるのが恐いから、時間を稼いで怒りの収まるのを待っていたわけですね」

石原が抱いた危機感とはまさにこうした古い自民党の体質そのものであったという。

やがて、同じ危機感を共有する自民党の若手議員たちが集結し「自民党の明日を創る会」が発足。石原はこの会の、代表世話人を務めることになる。

「私が声をかけてできた集団ではなく、あくまでも自然発生的に生まれたものです。会の名称は自民党の明日を創る会ですが、メンバーのコンセンサスは、21世紀の日本を世界に誇ることのできる国にしていこうというものです。つまり志としては『日本の明日を創る会』なんですよ」

現在、会のメンバーは45名。石原に劣らぬ論客の姿もある。メンバーの所属派閥も偏りがなく、新たな若々しい派閥が生まれたようにも見える。しかし石原はいたって冷静だ。

「メンバーの中には、執行部はすぐに退陣しろとか森政権は代われと言う人もいますけど、代表である私は一度もそんなことは発言していませんし、いろいろな発言をまとめる側に回っています」

創る会発足後の党内の反応はどうだったのだろうか。

「メンバーに対してプレッシャーがかかったり、執行部サイドの人が新たな若手のグループを発足させたり、さまざまなリアクションがあります。でも、執行部サイドに絶対的な権力があり、彼らが自信をもっているなら、派閥でもない私たちの会など無視すればいいわけでしょう。確かに、この会には非常に個性的なメンバーがいますから執行部側からは不気味に見えるかもしれません。それでも私は、現在のところは、過大評価だと思っていますよ。もし仮に我々が権力を握れば自民党は大きく変わるけれど、まだ権力闘争にもなっていない。一方で、世代間の闘争という言われ方もしますが、世代交代が行われることは大事でも、年配の方を排斥するという考えはいただけないですね。長老の存在は必要だと私は考えているんです。もちろん、いい長老と悪い長老がいるのも事実ですけれど(笑)」

こうしたバランス感覚も、すべての国会議員がもっている資質ではない。厳しい批判の精神をもちながらも、現実に対しては的確な判断をしている。その点で石原は、大学卒業後日本テレビで政治記者をしていた経験が役立ってるという。

「ジャーナリズムの世界にいましたから、物事をいかに客観的に捉えるかということは常に意識してきたつもりです。マスコミがどのような手法で挑発するか、その方法も熟知している(笑)。挑発を真に受け、自分の発した言葉に縛られるようにして自民党を出てしまった人も多く見ている。だから私の場合はいたってクールですね」

このクールでいて熱い資質は、国家レベルでの未曾有の危機であった'98年の金融不安を乗り越えさせる原動力にもなった。
前年に本格化した日本の金融危機は、長銀の経営危機においてピークを迎えた。議論は毎週のように粉砕し、自民党、民主党の若手たちが夜を徹して金融再生法を模索した。石原は、その中心的人物のひとりだった。

「今回のそごうのような問題が後に起こることは、あのときすでにわかってました。むしろ金融国会のの歴史的な意味というのは、政党間の部分連合ができたということだと思っています。自民、民主の議員が共同して議員立法として法律をつくったことに大きな意味がある。ただ一方で、法律の出来栄えからいえば100パーセントではない。マスコミは自民党が民主党を丸呑みにしたと言うが、事実はそうではなくて、考えの異なる政党がひとつの法案をようやくまとめ、そこにはやはり完璧でない部分が残ったということです」

民主党の法案には破綻前の金融機関への資本注入はなかったが、それをしなければ金融恐慌の恐れがあるというのが石原たちの主張だったという。

「そごうの問題についても、民主党の案ではいい債券は国営化された銀行が受け継ぎ、悪い債券は整理回収機構に移管するという、まさに黒か白かという選択しかなかった。しかし企業は生きものであって、資金さえ回っていれば潰れず、リストラが進めば業績が回復する見込みもあるわけです。それをあのタイミングで白黒はっきりさせてしまったら、金融機関の萎縮はさらに進み、恐慌が起こることが懸念された。だから、そごうをあのとき潰すことはできなかったのです」

しかし今年になって、やはりそごうの経営はぎりぎりの状況に追い込まれた。国有化された長銀からそごうへの債券を買い取った新生銀行は、そごう債券のための債券放棄を拒否。瑕疵担保特約という契約条項により、新生銀行のそごう向け債券は、結果として国が買い取ることになった。そごうは自主再建を断念、民事再生法による一種の倒産処理に入ったのだが、長銀処理の二次損失が国民の税金で賄われることになったのは厳然たる事実である。
こうした事態が発生した背景には、新生銀行と国の間で、長銀から受け継いだ債券の価格が2割下がった場合は、国が原価でその債券を買い取るという瑕疵担保特約が締結されていたことがある。

「あれは、官僚による善意のミスです。この特約を履行することが、最も国民負担を軽減させられるという判断が、政治家が選挙区を回っている期間に官僚によって行われてしまった。しかしこれは悪意をもってやっていることではないこともいっておかなければならないでしょう」

石原は今回の経験を踏まえて、次なる事態への対応を、しっかりと認識している。だからこそ、事実を合理的に判断して、金融機関の貸し手責任を痛感しているのだ。
ところで、石原の父親は元衆議院議員で現東京都知事の石原慎太郎である。彼はいわゆる二世議員だ。しかし、親の地盤を引き継いで国会議員になったのではない。初の立候補をしたのは夫人の地元、東京都杉並区だった。

「子供の頃から政治家を志望してはいましたが、性格が天の邪鬼なのか、親の地盤からは出たくはなかった。それで家内の生まれた選挙区から出馬したんです。まだ30代前半のころのことで、父親にも少し早すぎると忠告されましたね。まあ、30代というのは無鉄砲なのかな(笑)」

親譲りの長身痩躯、甘いマスクに、ギラギラとした政治家のイメージはない。しかし石原には、現実を客観的に捉えるクールな視線と、未来の政治への熱い情熱が混在しているように見える。テレビの討論番組で、民主党の若手と石原ら自民党の若手が議論を戦わせているとき、多くの視聴者は、彼らがいっしょになれば、いい政治が生まれるのではないかという期待をもつ。

「確かに、民主党の一部の人たちとは政策面ではかなり近い。しかし彼らは民主党に所属して自民党を倒そうとしているわけですから、すぐに合流する段階にはなっていないでしょう。ただ私自身としては、共産党以外のすべての政党による大連合をすること、そこでもう一度、政界を整理していくことが必要だと思っています。現在の枠組みにも無理があるのは事実ですから。これが私の究極的な政局論なんです」

(文中敬称略)

▲ このページのトップへ戻る