メディアに掲載された石原伸晃関連記事を以下よりご覧頂けます。

東京新聞
2000年 8月12日号
チェンジ日本政治
21世紀の担い手たち
与野党超えた政策立案で、
官僚主導の政治の破壊を
六月の衆院選で大幅に議席を減らした自民党。その選挙戦の陣頭指揮をとった党執行部 の責任を追及する声が中堅・若手議員から上がっている。「自民党の明日を創る会」の代表世話人。自民党の何が不満なのか。
「政党政治に逃げ込んで、日本政治のダイナミズム大きく失われている。今度の選挙だって、総裁、幹事長を含めて、本当に勝ったと思っている人は、だれもいないのに、負けたと言わない。国会議員もサラリーマン化して、『そうだ、そうだ』と。執行部寄りの人間の方が多い。そんなことおかしいんであって、国民の代表ならば、国民の立場でものを言わなければならない。お金も政党が集めて配るから、権力が一カ所に集中してしまう。そういう政治をやる限り、(政権中枢に)政策が分からない人が入れば、官僚の言いなりになる。民主主義の中で政党は大切だが、議員一人ひとりの政策立案スタッフを充実することなどが欠落している」
一九五七年、作家で現東京都知事の石原慎太郎氏の長男として生まれ、神奈川県逗子市で育つ。ベトナム戦争を取材した父が病床で語った戦場の光景が「政治」を意識させた。「(当時小学生だった)私と同じくらいの子供が、爆弾持って突っ込んでくる。米兵は『来るな』と言いながら、撃つ。目の前で親子のベトコンが殺されていく。犬死にだよね。日本も政治次第で、いつか同じようなことが起こりかねない。父親は戻ってきて肝炎になり、一年間寝ていた。そのベッドサイドで『その国の政治というものがしっかりしていないと国は滅びるし、おまえとおれも、あの親子のように死ぬことがあるかもしれない』と聞いた。ヒゲぼうぼうで、鬼気迫るものがあった。やせて真っ黒で。妙にリアリティーがあった」
慶応大学卒業後、日本テレビに入社。記者として警視庁や大蔵省、首相官邸を担当した。政治家を志したのは、竹下登氏(故人)の浮沈を取材したことがきっかけだ。
「総裁選に出るときのパーティーで、何を言っているか分からないと言われたあのおじさんが、こう、体を覆わせて演説するんだ。聴衆もエネルギーがあって、押されちゃって、演壇に押し付けられながらメモを取っていたんだけど、ああ、政治のエネルギーっていうのはすごいなぁ、田中角栄(元首相)を倒して出てきたそのすごさったらなかった。それで、佐藤政権以上の長期政権になると言われた竹下政権が、リクルート事件で倒れていく。あのあっけなさ。激動を予感した。首相官邸の記者会見場で、それを聞いて、『よし、やろう』と。それに若いやつもあまりいなかった。若い人間が集まれば、何かこの国を変えられるのではないかと思った。若気の至りだね」
九〇年の衆院選旧東京4区に無所属で立候補して初当選。その後、衆院議員だった父と同じ自民党に所属する。現在、当題四回。
「父は『(出馬を)もう少し待て。やっても当選しない。激動の時代ではない』ということだった。政治家の先輩として、まだ、この(自民党の一党支配)体制が崩れるところまで来ていないという読みだったんじゃないかな」
頭角を現したのは、九八年の「金融国会」。野党議員とともに、金融再生関連法案をまとめ上げ、政策新人類」と呼ばれた。
「金融国会が日本政治の大きなターニングポイントになったのは、法律の完成度は別として、(連立を組まず、各党が政策・法案ごとに連携する)部分連合だったこと。役所の決めたものではないものを政治家がつくった。それをどんどんやっていけばいいわけだ。与野党の垣根を越えて分かる者で議論していって、官僚が出したものがすべて『正』であり、その法案を通すことが与党の仕事であるみたいであったものを、壊していかなきゃ。(政党が法案の賛否を拘束する)党議拘束をもっと外すべきだというのが、私の持論なんだ」
しかし、自民党という巨大な組織、今の日本政治を変えていくのは容易ではない。
「(橋本派の源流である)経世会が、自民党的なるものの表象なんですよ。政策は役所がつくって、それを通しましょう、その代わり、お金をいろいろなところにばらまく。その仕組みは限界に来ている。政治家を志した以上、自分の目指す国家をつくるためにリーダーになりたい。だから、今度の『久世事件』はいいんですよ。自民党的なものを変えるために。参院比例代表選の(政党があらかじめ名簿順位を決めず、得票が多い候補者順に当選が決まる)非拘束名簿化だって、まさに自民党的なるものを破壊するダイナマイトなんですよ」
いっそのこと、自民党を飛び出し、人気の高い父とともに、都市型の保守新党をつくる気はないのだろうか。
「都市新党は今すぐにでもつくれると思うが、地域政党化してしまい、それが国益を代表する政党になり得るのか。地方と都会の対立はこの国にとって不幸。もう一つ。日本新党に始まった新党というものへの国民の絶望がすごくある。毎回タケノコのように出てきたけれど、新しい新党を国民が望んでいるのか」
細い体に似合わない大きな声。ややぞんざいな言葉使い。それを下品と感じさせないのは、育ちのよさ。それに「政策新人類」の呼び名で定着した、知性派イメージによるものだろう。ただ、いつまでも若さを売り物にはできないし、「異端児」の意味も込められた「新人類」のままでは、党全体を動かすのは難しい。「創る会」も、まだ反乱分子の位置づけから抜け出せていない。「自民党を変える」「リーダーになる」と言う。そのために、どう仲間を増やしていくか、次の一手が試される。

